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生物多様性に忍び寄る危機―世界で今起きていること<気候変動編>前編

気候変動や地球温暖化と生物多様性の関連性はつかみにくいのではないでしょうか。そもそも生物多様性とは?アマゾンのジャングルや南の島のサンゴ礁の話ではないの?と思うかもしれませんが、現在、人間活動に加えて気候変動が生物多様性の損失につながるとして強い危機感が持たれています。言語面から学術研究をサポートしているエナゴ学術アカデミーがお届けする「世界で今起きていること<気候変動編>」の第二弾では、「生物多様性」を前・後編に分けてとりあげます。


生物多様性という言葉の意味

地球上には人間以外にもさまざまな動植物が生存していますが、目に見えない微小な生物やウイルスまでも含めたあらゆる生きものたちの命のつながりを「生物多様性(biodiversity)」と呼びます。この言葉は、生物的な(biological)要素が多様性(diversity)をもって存在していることを示しています。多様な生物とそれを取り巻く環境のまとまりである「生態系」が維持されているからこそ、人間は地球からの恩恵(サービス)を受けることができるのです。

ところが、1980年代にこの言葉が登場して以来、生物を取り巻く環境は大きく変ってきました。近年、自然環境と生物多様性は、さまざまな破壊や汚染だけでなく、気候変動によって深刻な影響を受けています。

生物多様性の3つの分類

1992年5月、生物多様性を保全し、生物資源の持続可能な利用を目的とする国際的な枠組みである「生物多様性条約(CBD)」が採択され、2023年4月時点では194か国と欧州連合(EU)とパレスチナが締結しています。この条約では生物多様性を「生態系の多様性」「種の多様性」「遺伝子の多様性」の3つに分類しています。

1. 生態系の多様性:

山や川、海、熱帯や寒帯、砂漠や湿地など、地域や地形、環境によってさまざまな生態系(自然)が存在していること

2. 種の多様性:

動物、植物、微生物まで地球上には多様な生物種が存在していること

3. 遺伝子の多様性:

生物種としては同じであっても遺伝子レベルでの違いを持つ生物が存在していること

①と➁について補足しておくと、日本は南北に細長い島国で気候的・地形的に多様なことから固有の生物種も多く、世界的に見ても生物多様性に恵まれています。③の遺伝子の多様性とは、同じ種内でもさまざまな遺伝子を持つ個体がいるということです。遺伝的多様性は生物が生息地や環境の変化に適応し、生存率を高め、生態系の安定性を維持するためには不可欠なものです。

生物多様性の危機的な状況

地球規模で生物多様性が失われつつあることへの危機感が高まっています。生物は相互に微妙なバランスを保っているので、1つの種の絶滅がドミノ倒しのように別の種の個体数の減少や絶滅を招きかねないのです。2019年に国連が発表した報告書には、約100万種の動植物が「絶滅の危機に瀕しており、その多くは生物多様性の損失をもたらしている主な要因の影響を減らす対策が取られなければ、今後数十年以内に絶滅しかねない」と警告し、過去50年の間に生物多様性と生態系に変化をもたらした主な要因として、「陸と海の利用の変化」「生物の直接的な搾取」「気候変動」「汚染」「外来種の侵入」の5つを挙げています(生物多様性と生態系サービスに関する地球規模評価報告書/政策決定者向け要約、日本語版はこちら)。

「絶滅危惧種」という呼び方を耳にしたことがあると思いますが、これは国連自然保護連合(IUCN)が発表している「IUCNレッドリスト」の中で絶滅の可能性がある野生生物種を分類したときのカテゴリーのひとつで、2023年版には15万7,190種を評価したうちの28%、約4万4,000種以上の生物に絶滅の危惧があると記されています。この絶滅危惧種の数は過去最大であり、この結果は人間活動が野生生物に深刻な影響を与えていることを示すものと言えます。

レッドリストの評価対象には日本に生息する4,900種以上の生物種も含まれており、おなじみのニホンザルやツキノワグマもリストされています。環境省も日本に生息又は生育する野生生物について絶滅の危険度を評価した「環境省レッドリスト2020」を発表していますが(第5次環境省レッドリストは2024年度以降に公表される予定)、これによると13分類群の絶滅危惧種の合計は3,716種、ここに別途公開されている海洋生物レッドリスト掲載の絶滅危惧種56種を加えると、3,772種がリストされていることになります。

ただし、ひとつ注意したいのは、レッドリストに掲載されている動植物が必ずしも「保護」すべき対象とはならないこともあるということです。例えば、近年、人的被害が続出して問題となっているクマは今年4月にも「指定管理鳥獣」に指定され、生息状況をモニタリングした上で管理捕獲することを国が支援する方針が示されています。生物の保護や管理には、様々な課題への対応も必要とされています。

出典:IUCN Red List https://www.iucnredlist.org/

別の数値を見てみましょう。公益財団法人世界自然保護基金ジャパン(WWFジャパン)が作成している報告書『生きている地球レポート2022』によると、生物多様性の豊かさを測る数値(LPI)が、過去50年(1970~2018年)で脊椎動物の個体群は平均69%減少、淡水域は平均83%減少していることが示されています。同レポートは、2030 年までに生物多様性の損失を反転させ、ネイチャー・ポジティブな世界を確立することが不可欠だと述べています。

出典:WWF「生きている地球レポート2022」FACT SHEET https://www.wwf.or.jp/activities/data/20221013lpr_01.pdf

生物が絶滅する原因

生物が絶滅する原因インフォグラフィック

レッドリストやLPIといった指標からは、恐ろしい速さで生物多様性が失われていることが明らかです。一例としては、2009年から2018年にかけてサンゴ礁の14%を死滅させた大規模な白化現象の一因は海洋の温暖化だったとされていますが、サンゴの消滅によって海の生物多様性は急速に失われることとなりました。環境省は、地球上の種の絶滅のスピードは自然状態の約100~1,000倍にも達していると警告しています。

生物多様性の重要性

では、なぜ生物多様性の損失が重大視されているかですが、それには私たちが自然環境からどのような恩恵を受けているかを理解する必要があります。国連環境計画(UNEP)はミレニアム生態系評価(MA)の中で人間が自然環境から受けている恩恵を「生態系サービス(Ecosystem services)」と称し、生態系の機能の低下を防ぐための提言をまとめています。生態系サービスはさらに細かく下記の4つに分類されていますが、これらがなければ経済活動の大半は成り立ちません。

生態系サービス

1. 供給サービス:

必要な物質の提供(食料や水、燃料や原材料、遺伝資源、生化学資源、観賞用資源の供給)

2. 調整サービス:

人間が住める環境に調整するサービス(大気質、気候、災害緩和、水量・水質、土壌形成・維持、花粉媒介などの調整)

3. 文化的サービス:

審美的、精神的、教育的、レクリエーション的な恩恵

4. 基盤サービス:

生命の存続維持の基盤(酸素の提供、土壌の形成や光合成、栄養塩の循環など)

環境省は、生物多様性や生態系サービスの状況を把握するための総合評価を行っています。2021年に公表された「生物多様性及び生態系サービスの総合評価2021JBO3:Japan Biodiversity Outlook 3)」によると、日本の生物多様性は依然として危機に直面しており、生態系サービスも劣化傾向にあることが示されています。

生態系サービスについて少し補足しておきます。食料や水に関連している、上記1項目目の供給サービスは、最も分かりやすいものでしょう。

人間は食料を自然から得ており、地域の土壌特性や気候に適した植物を育てて収穫しています。生物多様性が低下し、作物の遺伝的多様性が失われてしまうと、病原菌や環境の変化(気候変動)の影響で作物が全滅してしまう恐れが高くなります。既に近年の干ばつや洪水、高温といった異常気象により世界の農作物生産に影響が出はじめていますが、今後はますます乾燥や高温に強い種でなければ生産できなくなるかもしれません。国連食糧農業機関(FAO)は、気候変動と土地の劣化(土壌浸食)により世界の農作物生産は2050年までに10%失われると予測しています。健全な生態系と生物多様性が維持されていなければ、食料を安定して確保することは難しくなるのです。

2023年11月にオーストラリアのシンクタンクであるInstitute for Economics and Peace(IEP)が発表した「Ecological Threat Report 2023(生態学的脅威レポート2023)」には、既に深刻な食糧不安に直面している42か国には10億人が生活しており、2050年までには世界で推定28億人が深刻な生態系の脅威によって避難または移住を強いられるリスクにさらされるとしています。

これは、遠いどこかの国の話とばかりも言ってはいられません。2023年の夏の記録的な猛暑は、日本の農作物生産にも大きな影響を及ぼしました。お米の高温障害が多数発生し、野菜は暑さで育たず収穫が遅れたり、全滅したりということもありました。漁業も同様です。海水温の上昇で本来であれば捕れる魚種がとれなかったり、貝類やノリ養殖の生産量が減少したりしています。農業、漁業などの一次産業は気候変動と生態系の変化の影響を最も大きく受けているのです(本連載シリーズの第一弾「地球温暖化」で「地球沸騰化」が2023年の流行語大賞に選ばれたことにふれましたが、代表スピーチを行ったのは福井県のサバ養殖会社代表取締役でした)。

水も自然からの恵みです。幸い、日本は水資源に恵まれていますが、熱帯のアマゾンでは2023年6月頃からの干ばつが収まらず、観測史上最悪と言われる事態に陥り、漁業や観光業などを営む人々の暮らしに深刻な影響を与えています。水ストレスにより、アマゾンの生物群系が早ければ2050年にはストレスに屈する臨界点を超えるかもしれないと指摘する論文が発表されるなど、懸念が広がっています。「地球の肺(lungs of the Earth)」とも呼ばれるアマゾンの森林システムが崩壊することになれば、壊滅的な影響をもたらすことになってしまうでしょう。

また、米国海洋大気局(NOAA)などにより、2023年にアマゾン川の支流(ネグロ川)の水位が記録的な低さになったことや、別の支流(テフェ川)の川幅の一部が半減したことが報告されており、気候変動がアマゾン固有の生態系に生息する生物種の存在を脅かすことになると警告されています。

生態系のバランスが崩れるとどのような影響が生じるかを予測することは困難です。前項に書いたように、生物多様性の損失の主な原因は人間活動によるものです。生物多様性の損失は、生態系サービスの劣化に直接的につながるので、生物多様性がこのままのペースで失われれば、食料や水の確保が困難になるだけでなく、燃料や肥料などの原材料の供給、その他のサービスの提供も損なわれることが懸念されます。そこで、生物多様性を維持するための策が国際会議で協議され、人間活動の見直しを含め、さまざまな取り組みが実施されています。

参考資料

「生物多様性に忍び寄る危機―世界で今起きていること<気候変動編>」の前編はここまで。後編では、生物多様性を守るための世界の取り組みについて見ていきます。また、生物多様性に関する研究もご紹介します。

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